原稿用紙はなぜ400字?「20×20」が定着するまで

原稿用紙はなぜ400字 歴史
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作文と聞いて思い浮かべるのは、縦20マス、横20マスの原稿用紙です。全部埋めれば400字。学校ではあまりにも当たり前に使うため、「文章は400字単位で書くもの」と感じていた人もいるでしょう。

しかし、400という数字は、文章の読みやすさから計算された理想の文字数ではありません。調べていくと見えてくるのは、手書きの文章を印刷物へ変える現場で必要とされた、文字数を測るための物差しでした。

マス目は文字をきれいに並べるためだけではない

400字は文章の長さを測る物差し

マス目のない紙に文章を書くと、文字の大きさや一行の長さは人によって変わります。本人には読めても、そこに何字あるのかを別の人が正確に数えるのは簡単ではありません。

活版印刷では、文章の一字一字に対応する活字を拾い、順番に並べて版を作ります。原稿の文字数が分からなければ、作業量や完成する紙面の長さを見積もりにくくなります。

そこで役立ったのが、一つのマスに一字を書く用紙です。20字を20行書けば400字。多少の空欄があっても、用紙の枚数を見れば原稿のおおよその量をつかめます。原稿用紙は筆記具であると同時に、書き手と印刷する側が同じ単位で話すための道具だったのです。

「20×20」の発明者は分かっていない

では、誰が最初に400字詰めを考えたのでしょうか。意外なことに、その答えは確定していません。

マス目のある紙そのものは、近代の活版印刷より前にも存在しました。現存する古い例として、江戸時代の学者・藤貞幹が『好古日録』の草稿に使った用紙が知られています。また、明治初期の役所では、すでに20字×20行の用紙が使われていたとされます。

ただし、「20×20の用紙が現れたこと」と「400字詰めが標準として広まったこと」は別の話です。最初の一枚を探すだけでは、なぜ400字が定着したのかまでは説明できません。

800本の活字を半分にしたという説

400字の由来としてよく紹介されるのが、印刷所で使われた「文選箱」に関係する説です。

文選箱は、文章に必要な活字を拾って入れる細長い箱です。明治期によく使われた五号活字の場合、一箱に20本×40列、合計800本を収められたといいます。しかし、一枚800字では書く量が多く、途中で間違えたときの負担も大きくなります。そこで半分の400字が一区切りになった、という考え方です。

数字のつながりは分かりやすいものの、これが唯一の起源だと証明されたわけではありません。古い経典の20×20の字詰めを受け継いだとする説などもあります。現在のところ、「この人物が、この理由で400字に決めた」と言える記録は見つかっていないのです。

紙が消えても400字は残った

作家が原稿用紙を本格的に使い始めたのは明治20年代ごろとされ、明治末から大正期にかけて400字詰めが主流になっていきました。

20×20なら、一枚が必ず400字です。書き手は原稿の長さを把握でき、出版社や印刷所も枚数から作業量を見積もれます。学校、役所、出版の現場で同じ形式が使われるうちに、400字は紙の規格を超えて「文章量の単位」になりました。

現在はパソコンやスマートフォンで文章を書くのが普通です。それでも原稿の募集要項などでは、「400字詰め原稿用紙○枚分」「400字換算」という表現が使われます。たとえば1600字なら4枚分です。画面上にはマス目がなくても、数え方だけは残っています。

400字は、文章を書くのに最適な長さだから選ばれたのではありません。手書きの文字を数え、印刷の仕事量を共有するのに都合がよかった。その便利さが長く使われるうちに、私たちの文章感覚にまで入り込んだのです。

参考資料:国立国会図書館レファレンス協同データベース「400字詰め原稿用紙の由来」/国立国会図書館「第141回常設展示 原稿用紙、その姿と歴史」

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