手紙の宛名や書類に住所を書くとき、ふと不思議に思ったことはありませんか?日本全国の都道府県のうち、「府」がつくのは京都府と大阪府の二つだけです。
東京は「都」、北海道は「道」、そして残りの43地域はすべて「県」と呼ばれています。なぜ京都と大阪だけが「府」なのでしょうか。
もしかして、昔の都があったから特別扱いされている? それとも、県よりも「府」のほうが格上だから? そんなふうに想像してしまうかもしれません。
結論から言うと、現在の決まりでは「府」と「県」に格の違いはありません。実はこの二つだけが残った背景には、明治時代から続く日本の行政の「名前の整理」という歴史が隠されています。
今回は、かつて日本中にたくさんあった「府」が、なぜ京都と大阪にだけ残ることになったのか、その意外な歴史の跡をひも解いていきましょう。
明治初めには府が各地にあった
江戸幕府が終わり、新しい政府ができたころ、日本の土地は現在の47都道府県には分かれていませんでした。政府が直接治める場所には「府」や「県」を置き、以前から大名が治めていた土地には、しばらく「藩」を残しました。これをまとめて府藩県といいます。
このとき府と呼ばれたのは、京都や大阪だけではありません。江戸、神奈川、奈良、長崎などにも府が置かれた時期がありました。神奈川県は神奈川府、長崎県は長崎府だったことがあるのです。
府は、今のように大都市だけに与える特別な称号ではありませんでした。新政府が旧幕府の土地や重要な場所を直接治めるために使った、行政区分の名前の一つだったのです。ただし、府と県の使い分けが最初からきれいに決まっていたわけではなく、名前は短い間に何度も変わりました。
1869年に東京・京都・大阪の三府へ絞られた
府と県が各地に入り交じっていると、同じ種類の役所なのに呼び方がばらばらになります。そこで明治政府は1869年、東京・京都・大阪を除く府を県へ改めました。

神奈川府や奈良府などが県になり、「府」は東京府、京都府、大阪府の三つに絞られます。
三つはいずれも、多くの人や物が集まり、政治や文化、商業の中心となっていた都市を含む地域でした。そのため、府という名前を残す場所として選ばれたと考えられます。
ここで大切なのは、最初から京都と大阪だけを府にしたのではないことです。各地に府を置いたあとで制度を整え、三府だけを残しました。現在の二府は、この整理の結果へさらにもう一度変化が加わってできたものです。
東京府が東京都になり、二府が残った
三府のうち東京では、広い東京府の中に東京市がありました。今の感覚に近づけると、「府」と、その中心都市である「市」が重なって存在していた形です。
1943年、戦時中の行政をまとめるため、東京府と東京市は廃止され、東京都が置かれました。

東京だけが府から都へ名前を変えたため、三府から東京府が抜け、京都府と大阪府が残ります。これが、現在「府」が二つしかない直接の理由です。
東京都ができた目的や当時の仕組みは、現在の都政と同じではありません。その後、地方自治の制度は戦後に大きく変わりましたが、「東京都」という名前は引き継がれました。
「府」は今の格ではなく、歴史の跡
現在の地方自治法では、都・道・府・県をまとめて「都道府県」と呼びます。京都府や大阪府が、県より一段上という決まりはありません。「府」という一文字だけを見て、今の役割の違いを読み取ることはできないのです。
それでも名前を同じにせず残しているため、住所には明治時代の制度の跡が見えます。京都府と大阪府の「府」は、二つの地域だけに最初から与えられた称号ではなく、各地にあった府が三府へ整理され、東京だけが都へ変わったあとに残った文字でした。
参考資料
- 国立公文書館 アジア歴史資料センター(「京都東京大阪三府ノ外府ヲ廃シ県ト為ス」より)
- 東京都公文書館(「都史資料集成II 第1巻のご案内」より)
- e-Gov法令検索「地方自治法」


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