お正月の風物詩として、毎年多くの人がテレビで応援する「駅伝」。ランナーたちがたすきをつなぎ、一生懸命に道路を駆け抜ける姿は、すっかり日本の冬のおなじみですね。
でも、この競技の名前について、少し不思議に思ったことはありませんか?
走っているのは一般の道路で、決して「電車の駅から駅へ」向かって走るわけではありません。それなのに、なぜ名前に「駅」という漢字が入っているのでしょうか。また、もう一つの「伝」の字は、いったい何を「伝え」ているのでしょう。
実は「駅伝」という言葉は、もともとスポーツのために作られた名前ではありません。はるか昔、まだ車も電車もなかった時代に、馬や人をリレーのように交代させながら「大切な知らせ」や「役人」を遠くへ運んだ、古い交通の仕組みを表す言葉だったのです。
この記事では、1917年(大正6年)に開かれた日本初の大会をきっかけに、なぜその古い制度が新しい競技の名前として選ばれたのか、その深い理由をひも解いていきます。
「駅」と「伝」は、どちらも次へ送る仕組みだった
奈良時代の日本では、都と各地を結ぶ大きな道に「駅家(うまや)」という中継場所が置かれていました。ここには公用に使う「駅馬(えきば)」が用意され、役人は駅から駅へ馬を乗り替えて進みました。
一頭の馬で遠くまで走り続ければ、馬も人も疲れてしまいます。けれども、道の途中に馬を替えられる場所があれば、移動そのものは止まりません。一つの駅が全行程を受け持つのではなく、決められた区間をつないでいく仕組みです。
「伝馬(てんま)」も、公用の移動に使われた馬です。駅馬と伝馬には使われる道や役割に違いがありましたが、どちらも人や知らせを次へ渡すための制度でした。「駅伝」という二文字には、駅に備えた馬と、道をつないだ伝馬の仕組みが重なっています。

1917年、昔の制度が競走の名前になった
日本で最初の駅伝競走は、1917年4月に行われた「東海道駅伝徒歩競走」とされています。出発は京都の三条大橋、到着は東京・上野の不忍池。約500キロの道のりを23の区間に分け、東西の二つのチームが3日間かけて走り継ぎました。
この競走を企画したとき、神宮皇學館の館長だった武田千代三郎が「駅伝」と名づけたと伝えられています。長い東海道を一人で走り切るのではなく、区間ごとに担当を替えながら目的地を目指す。その形が、駅馬や伝馬を替えて人や知らせを送り続けた昔の制度とよく似ていたからです。
走者は馬ではありませんし、競走の中継所も古代の駅家ではありません。それでも、「一人の速さ」だけではなく「受け渡しによって全体を前へ進める」という中心の考え方は同じでした。古い制度の名前が、新しい競技の動きをぴたりと表したのです。

主役は区間ではなく、止まらない引き継ぎ
現代の駅伝では、走者が中継所でたすきを渡します。前の走者が運んできたものを次の走者が受け取り、自分の区間を走って、その先へ渡す。走る人は入れ替わっても、チームの競走は止まりません。
昔の駅伝制でも、移動する役人や知らせは中継場所を越えて先へ進みました。馬を替えることは旅を中断することではなく、むしろ動きを続けるための方法でした。現在の駅伝で走者が替わるのも、長い距離を一つの流れにするためです。
いまの「駅」と聞くと鉄道の駅を思い浮かべますが、駅伝の「駅」はそれより古い中継点の名残です。駅伝は、駅から駅へ走る競技という意味ではありません。人や馬を替えながら、道の先へ役目を渡していく仕組み。その昔の姿が、走者の引き継ぎを表す競技名として残っています。
まとめ:駅伝が「駅伝」と呼ばれる理由
- 「駅」と「伝」の本来の意味:古代からあった、馬や人を替えて公用の知らせや役人を運ぶ交通制度(駅馬・伝馬)のこと。
- 競技名になったきっかけ:1917年の「東海道駅伝徒歩競走」で、区間ごとに走者を替えて進む姿が昔の交通制度に似ていたため名付けられた。
- 引き継がれた精神:主役は個人の速さだけでなく、中継点で受け渡しを行い「動きを止めずに全体を前へ進める」という仕組みそのものにある。


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